お勧め、京都の私大特集

龍谷大学を知っていますか?

龍谷大学を知っていますか?

京都らしい大学

それでは最後に紹介するのは、先んじて紹介した立命館、同志社大学と同じく古い歴史を持っていることに変わりは無いが、2校よりも歴史的に古い時間を有している大学は他にもある。そんな点でもこの大学について語っておきたいのが、同じく京都府京都市内に存在している『龍谷大学』についてだ。この大学に関しては立命館とは明確に異なる違いが存在している、それは信奉している宗教そのものが異なっているところだ。同志社は敬虔過ぎるほどの『キリスト教』となっているが、一方の龍谷大学は『仏教』を信奉している。これだけでも大学としての特徴で大きな差を生み出しているのは言うまでもない。だが言うなれば京都で仏教の大学なんだからある意味定番では無いだろうか、とも考えることが出来る。

今回どうして龍谷大学を取り上げたのかについては、実のところこちらにも筆者がかつて進学したいと考えていたところでもあるからだ。ただこうしてみると、志望している大学の傾向と特色がまるで違うことから、移り変わりが激しいというか、興味の示し方が両極端すぎるだろうと思ってしまう。要は自分が何も考えずに志望校を選出していたことがはっきりしているわけだが、結局最終的に筆者が進学した大学はどこぞのキリスト教系列の大学ではなく、龍谷大学のような仏教を元にした大学だった。まぁ宗教を学びたかったわけではなかったのでいいが、それでも単純に大学の質として見所はあるだろうと感じるところがあったからだ。

それはこの大学の歴史がゆうに『375年』という、同志社大学や立命館大学とは比較にならない歴史的な時間を経験しているところに注目することが出来る。最初から龍谷大学として存在していたわけでは無いが、それでも前身だった教育機関からのことを考えても十分すぎる時間だ。仏教という古代日本から伝来している宗教を信奉している龍谷大学とは一体どんな大学なのか、まずはそこのところから話をしていこう。

じぶんにあった大学を探す

僧などが勉強する学び舎が原点

ではまず始めに龍谷大学の歴史について簡単に触れていこう、さすがに370年近い歴史を全て話しているとあっという間に一日が過ぎてしまうため、あくまで概要だけをここでは簡単に触れていく。さて、まず最初に書いておかなければならないのは、龍谷大学というところがどのように始まったのかについてからだ。起源を探っていくと分かるが、龍谷大学は1639年、江戸幕府が開幕してから数十年という月日が経っていた頃、京都西本願寺境内にて学び舎が作られたところからそのすべてが始まりを告げることとなる。当時はそのことを『学寮』という、僧などが勉学と共に寝食を共にする寄宿舎としての機能を有していた施設となっている。厳密に言うと教育機関というには少しばかり多機能すぎるが、お寺なので質素なのは間違いない。ただ当時の生活状況と比べた場合にはその差は歴然だろう。

そうしてすべての歴史が始まった、と思われるのだが約20年後に幕府から学寮そのものが取り潰しになってしまい、仮屋での教育活動をするのを強制されてしまう。それから40年近くは心許ない施設での学業を行わなければならなくなったが、1695年には東中筋学林町に学林食堂と衆寮の建築をすることで再スタートを切ることとなる。

それから長い時間が掛かるわけでは問題は山ほどあったが、歴史の中で注目したのはやはり明治以降の教育機関の変遷だ。仏教を中心とした学問に専念していたが、年号が明治になったことで積極的に外国文化を取り入れる日本になりつつあったため、龍谷大学の通過点ともいえる学林でも1869年には初めてキリスト教に関する講義を開催することで、これまでにない世界観を受講生に与えることとなる。

その後更に学林が廃止され、学生が更改されることとなった1900年には仏教大学とそれに連なる高等中学と中学の三つを設立する。それから1922年には、立命館と同じころに大学としての認可を取り付けることとなり、この瞬間から『龍谷大学』と改めて名称を変更する。そうして出来た龍谷大学は直後に待ち構えている戦乱の世を無事に乗り切ると、京都市内にある1つの教育機関として存在感を主張するようになり、長い歴史を更に強調するように現代まで語り継がれる歴史に相応しい大学となった。

歴史に見合うだけの大学

本当に簡単かつ、触りだけを紹介したが龍谷大学という教育機関の始まりに関しても、正直最初期はあまり前途有望な状況ではなかった。一旦は学び舎が廃止されて、その後新たな学び舎を見つけるために数十年という時間が経過しているところを見ると、当時の人からした教育期間といっても、誰もが当然の権利として受講できるものではなかったことも示唆している。何とか再度施設を再建することに成功しても、やはり次の教育機関に対する考え方で施設が利用できなくなるほどの迷惑を被ることとなってしまい、まともな前身を踏めていなかったのは同志社や立命館と同様、龍谷大学も似たような業を背負っていたようだ。

長い時間が掛けられているからこそ分かる期間だが、中世に近づけば近づくほど、教育というものに対しての考え方が現代とは一線を画していることが理解できるだろう。当時だからと言えばそれまでだが、取り巻く環境が改善されるまではまだまだ先立ったということだ。

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